「ぷらす整骨院」で働く人たち

INTERVIEW

山中 孝太 29歳 1年5ヶ月

明治国際医療大学卒業
明治東洋医学院専門学校卒業

森ノ宮院院長

「目指す」じゃなく本気で
「日本一」を狙う
そしてその中核として牽引する存在に。

独立も視野にいれ5年働いた整骨院を出て、
先を考えていた時に起こった出来事。

大学と専門学校と計7年ほど医療を学び、5年ほど他の整骨院で働いていたころ、独立も視野にいれて、この先の進路を迷っていた時期がありました。当時の院長には大変お世話になり、とても尊敬していましたが、もっと他の治療家の方の技術も学び、自分オリジナルの治療法を創出していく必要がある、と感じていたのです。結婚したばかりでもあり、より福利厚生の手厚い職場に…という気持ちももちろんあったのですけれど。そんな時ある方との出会いがあり、その時の言葉が、私の人生を変えることになります。「日本一の整骨院グループにする。整骨院といえば『ぷらす』といわれるまでにする。必ずする。」そう語る目が、おそろしく真剣だったのは今も鮮明に覚えています。

「日本一…高校時代に味わった悔しさを、
今こそ必ず実現する!」 魂が再燃した瞬間。

高校時代に熱中していたのがラグビー。卒業後もスポーツに関わる仕事がしたいという思いが、柔整・鍼灸やスポーツトレーナーを志したルーツでもあるのですが、高校3年の時、全国大会でついに優勝を果たしました。部員全員が涙を流して大喜びする、今でも忘れられない体験でしたが、私はベンチスタートで、結局出場する機会はありませんでした。もちろん、チームプレーですから優勝が嬉しくないわけはありません…が、心のなかに悔しさがなかったといえば嘘になります。「自分もあのピッチに立ちたかった」って。大人になり、ラグビーとも離れ、将来を考えていたある日「日本一を目指すのではない、日本一にしよう!一緒に!」今の社長のその声に、ずっとくすぶっていた魂に火がつかないわけがないです。

今度はチームの中心・中核として、
仲間や後輩をひっぱっていく存在として。

嬉しいけどどこか悔しさがある、だから今度こそリザーブではなくキープレーヤーとして、また牽引役として日本一を本気で狙う。これほど自分を突き動かしてくれる原動力となるものはありません。他人から見ればよくある「人生の転機」かもしれませんが、私にとってこの挑戦は過去の自分へのリベンジでもあるのです。そして、一人で戦うのではなく、仲間と一緒でなくてはなりません。だから日本一のチームの中核としてどんどん仲間を巻き込み、後輩をしっかりひっぱり上げながら、ぷらすという台風の、その目となること。これがこれからの自分の人生のテーマなんです。

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